【大阪国際経済振興センター(インテックス大阪)】
  理事長 永井哲郎氏

インタビュー

インテックス大阪開業30周年

大規模展示会場としての展望 ~時代の変化と共に多様なニーズに対応すべく、さらなる発展を目指す~

大阪国際経済振興センター(インテックス大阪)

理事長 永井哲郎氏

 

わが国初の近代的かつ大規模展示施設として1985年5月に開業して以来、今年で30周年を迎えたインテックス大阪。2013年4月に一般財団法人へ移行するとともに、公募型プロポーザルによりインテックス大阪の事業運営者に認定された大阪国際経済振興センター理事長の永井哲郎氏に、30年間の歩みや今後の展望などについてお話を伺った(聞き手=坂本映二)。
(掲載=『見本市展示会通信7月1日号』より一部抜粋)

 

経済の成長に合わせた
日本初の大規模展示施設

―この5月に開業30周年を迎えましたが、はじめに建設に至るまでの経緯や開業当初についてお話いただけますか。

永井 大阪万博と時代が重なりますが、中馬大阪市長の時代に、当時は日本の商工業の中心を担ってきた大阪で国際的な見本市を開催していこうという機運が生まれ、朝潮橋の会場を使いながら見本市を開催してきました。私は子どもの頃に朝潮橋の国際見本市に祖父に連れられて行きましたが、子どもでも楽しめる国際見本市で、子どもなりにワクワクして帰った記憶があります。その後、経済の成長とともに見本市の規模も大きくなってくるなかで、会場の規模が足りなくなってきました。
一方、大阪市も市制100周年を迎えるにあたり、この咲洲地区の埋め立てとともに新しい大阪の姿を描こうということで、近代的な大規模見本市会場を作ることが大きな目標となり、テクノポート大阪計画のなかに位置づけされました。
当時はアクセスなどに問題はありましたが、30周年を機にいろいろ調べてみた結果、こちらに移動してから大規模な見本市や展示会が開催されるようになったことが分かりました。開催件数的には現在の方が圧倒的に多いのですが、稼働面積では当時の方が今より大きかったというデータもでています。ということは、その時代は大阪市が見本市に力を入れており、また全国的にも大阪で見本市を開催する意味が高かったという時代であり、ある意味では隔世の感かなと思います。

 

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