【創立40周年記念座談会】展示会産業の歩みと展望

将来を担う人々へのメッセージ

司会 最後に、これから展示会業界で働く人に向けてアドバイスをお願いします。

越野 展示会の主催は自分で何かの産業を作り出したり、既にある産業をより大きくしたり、それによって脚光を浴びることができたり、いろんな意味でダイナミックな仕事です。非常に刺激的なので、若い人こそ仕事の面白さを感じられると思います。また、豊田さんのところのようなディスプレイ業なら、展示会の制作を手伝いながら、自分で企画して主催者と一緒にひとつのものを作り上げていく醍醐味があるはずです。一主催者としては人手不足を心配してはおらず、今後はより優秀な人材が入ってくると信じています。

豊田 展示装飾はものづくりです。つくることが好きな人は、その面白さに夢中になってしまうと思います。展示会現場特有の時間のサイクルに合わせることができれば、メリハリの利いた仕事に感じるはずです。少し前まで残っていた「危険」「汚い」「きつい」というイメージが完全に払拭されたとは思っていませんが、生きがいとして非常に面白い、人生をかけるに値する職種です。今はベテランの職人が減ってきているので、自分の手でものを作れる人が男女問わず、もっと増えてくれると嬉しいです。

芳賀 展示会というのは人と人とを結びつけるお見合い所みたいなもので、商談という名の結婚を進めているようなものです。今日、日本は平和で良い国ということで世界各国から注目を集めており、訪日外国人旅行客も年間2000万人に上ります。まさにグローバリゼーションの時代と言えるでしょう。学生も幼少期の教育から英語を勉強しており、国際化が急速に進むなかで、展示会の果たす役割は非常に大きいと思います。国際的、外交的な問題はいつの時代も尽きませんが、人と人との交流がしっかりしていれば戦争は起きないはず。そういう意味で展示会は平和産業で、これからますます必要とされ、成長していく産業ではないかと思います。若い人にはぜひ展示会産業を通じて諸海外と交流をはかり、自分たちの力を試していただきたいです。

司会 本日はどうも、ありがとうございました。

 

<参加者紹介>(敬称略)

B
公益社団法人日本包装技術協会 専務理事
越野 滋夫
われわれ日本包装技術協会は包装技術を中心とした団体です。包装機械、包材加工機材、印刷関係などのメーカに対し、そのユーザである医薬・化粧品や食品製造メーカと共に電機、機械、運輸など製品包装に関連する諸産業と大学教授などが加盟しています。設立は1963年3月で、現在54年目です。
私が展示会にかかわるようになったのは1980年からで、当時はまだ20歳代でした。出版社に勤めていた私が、当時、日本包装技術協会の常務理事・事務局長だった楠田洋さんと偶然知り合い、一緒にやらないかと誘われたのがきっかけです。入職後はしばらく包装管理士講座などの人材育成に努め、その後「TOKYO PACK」の担当になりました。TOKYO PACKは1966年にはじまって以来、隔年で開催していますので、私も既に10回以上担当していることになります。
会場も当初の晴海・東京国際見本市会場から東京ビッグサイトへと移り、今では東館全ホールで開催しています。晴海時代は出展者数700社、小間数4000小間くらいの規模で、海側にあった駐車スペースに仮設館を建てていただき使ったりもしていました。
C
株式会社ビジネスガイド社 代表取締役社長
芳賀 信享
私は1986年にビジネスガイド社に入社したのですが、それ以前は証券会社の外務員として営業開拓をしていました。今は大きくなりましたが当時は小さな証券会社で、個人宅を中心に新規開拓に勤しんでいたのがつい昨日のことのようです。大変ではありましたが、非常にやりがいのある面白い仕事でした。そんな証券マンとして充実した日々を送っていた折に、当時ビジネスガイド社の専務をしていた母親が病気をしまして、これは手伝わないといけないなと思ったのが入社のきっかけです。
ビジネスガイド社は1971年に設立し、「ぎふと」という雑誌の出版と、翌年からは展示会の開催もするようになりました。1976年には「ギフト&ホームアクセサリーショー」(出展社63社)という展示会を都立産業会館大手町館主催するようになり、これが1981年に名称を変え、今日における「東京インターナショナル・ギフト・ショー」となります。今秋のギフト・ショーは2867社です。来春2月は新しい会場を増設され4000社となります。はじめは東京都立産業会館大手町館で開催していたのですが、1980年にはサンシャインシティ・コンベンションセンターTOKYO(出展社168社)へ、1988年には晴海・東京国際見本市会場(出展社724社)へと会場を移しました。私が入社したのは1985年12月サンシャイン時代の終わりの頃でした。
入社後は出版と展示会事業を並行して行なっていました。晴海では入札をしたため展示会をすべて取り仕切るようになり、その後は神戸で西日本ギフト・ショーを展開したり、「インターナショナルプレミアム・インセンティブショー」を立ち上げたりしつつ、1996年の「第42回東京インターナショナル・ギフト・ショー」(1341社)の際には東京ビッグサイト(東京・有明)への移転にもかかわらせていただきました。移転直後は東展示棟だけでやっておりましたが、50回くらいから東・西棟全館を使用することになり、現在では毎回満杯です。今年の9月に82回目を迎え、改めて月日の経つ早さを実感しています。
D
株式会社ボックス・ワン 代表取締役
豊田 悦夫
ボックス・ワンは1989年にフジヤの子会社として設立しました。私自身は1984年にフジヤの海外事業部に入社し、もっぱら展示装飾の経験を積んでいた時期です。当時はバブル景気でどの会社も新規の事業に挑戦していた時期であり、フジヤも類にもれず東京にボックス・ワン、そして大阪にボックス・ツーと言う展示施工の専門会社を作ろうという話があがっていました。当時は日本が海外の主催者や出展企業の要望によりヨーロッパスタイルのモジュラーシステムを取り入れはじめた時期でありました。そんな時代の流れに沿うような形でボックス・ワンは11名でスタートしました。それ以来、展示会の基礎工事が在来工法からシステム工法に急激に変化していった時期となります。私はそこでドイツの展示用資材メーカよりシステム資材の仕入れを担当しました。
今日では展示会をメインにイベントやプライベートショーなどもやっております。比率的には展示会7割、その他3割といった感じです。展示会のなかでも東京ビッグサイトでの現場は全体の4割近くを占めています。


<司会>
株式会社ピーオーピー 代表取締役社長
坂本 映二

「見本市展示会通信」2016年(平成28年)10月1日 第739号“創立40周年記念特集号” より一部抜粋